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2006年01月 アーカイブ

2006年01月17日

ジン・トニック

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永い年月を経て、再び、手にしたフランソワーズ・アルディの古いアルバム。
このLP「ジン・トニック」には、懐かしい想い出がたくさん詰まっています。

ジャニス・イアンの曲をカヴァーした「star」というアルバムが日本でリリースされた頃、雑誌の取材で、F・アルディにインタビューする機会がありました。そのご縁でアルディの次作(多分)「ジン・トニック」のライナーノートに書かせていただきました。当時、編集者だった私ですが、ライナーノートに書いたのは、これ一本。
なので、すっかり、忘れていたばかりか、とうに、現物は手元になく、けれど、なんかの拍子にふと、「あれはどこにいったんだろ‥」なんて、思い出したりもしていたのですが。

もう、ずいぶん、昔のことで、なにを書いたのか、覚えてなかったのですが、思いがけず、このアルバムをプレゼントしてもらって、当時のことをいろいろ思い起こしてしまいました。

モンパルナスのアルディのお家(パリには珍しく一軒家だったと記憶しています)に一歩入ると、そこは、真っ黒、漆黒の世界。壁も天井も家具もすべてが、黒!!
冬の庭jardin d'hiver(サンルームのことですが、アルディの漆黒のお家には、この言回しがピッタリ )があるサロンでインタビューは行われましたが、他のお部屋も、キッチンと子供部屋を除いて、全部真っ黒だ、ということでした。
インタビューの前から、黒い部屋のことは知っていたのですが、やはり、「百聞は一見に如かず」。
かなり、広い部屋だったに違いないのですが、何だか、洞窟の中にいるような、闇の先に明るいトコロが光っていて、そこが、冬の庭でした。

アルディのイメージから、真っ黒の内装は彼女の好みだと思っていたし、そう聞いてもいたのですが、実は、「ジャック・デュトロン(アルディの夫)の趣味なの」。
当時、アルディのファンだった私は、こんな新発見に心をときめかせたものでした。
今から思えば、未熟なインタビュアーだったな、とつくづく恥ずかしくなります。


このアルバムを見ていると、あの頃を懐かしく思い出します。
昔は若かった分、ずいぶんメチャな仕事もやっちゃったな、なんて。

あれは、D誌のためのシャネルの撮影でのこと。
アートディレクターの片庭瑞穂さんと相談して、当時、六本木ロア・ビルにあったプレイボーイクラブ(ヒュー・ヘフナー氏のです、勿論)のトイレットで撮ることに決めました。
メーキャップアーティストはドミニク・モンクルトワさん。
彼は今でも、シャネル社にいらっしゃるようで、新口紅「ルージュ アリュール」(4月14日発売らしい)の色出し(というのでしょうか?つまり新色を決めたりするコト‥)もドミニクさんのお仕事だとか。

ま、それはさておき、過去の撮影の話に戻ると、いい雰囲気で撮影は行われ、ドミニクさんの仕事は夢のように美しく、(たしか、モデル嬢はメークが気に入ってそのまま、ディスコに行くと言い出したほど)写真の出来もすばらしいものでした。
しかし、トラブルは起こるものです。
シャネル社の担当の方が撮影に立ち会っていたにも関わらず、写真にクレームがついたのです。
何故って、写真に男性便器が写っていたから!!!

六本木のプレイボーイクラブはバニーガール嬢がサービスしてくれる所なので、当然男性客が多く、化粧室もfor menの方がステキだったのでしょうね。はっきりした記憶はありませんが。
ここのトイレットは白と黒で構成された、当時としては、スタイリッシュな空間でした。
コケティッシュに撮りたくて、選んだ場所だもの。男性便器 ? いいんじゃない ! 
なぁんて勢いだったに違いありません。

それでも結局、写真は誌面を飾り、私たちは満足でした。
だって、きっと、カールなら、面白がったと思うから。
でも当時はまだ、シャネルのスチリストはカールじゃなかったのかも知れませんね。

ああ、変なところに脱線してしまいました。
音楽には過去を遡らせる力があるのでしょう。

このところ、フランソワーズ・アルディの「Traume(夢)」をよく聴いています。
「Traume」はファスビンダーの原作をフランソワ・オゾンが映画化した「焼け石に水」のなかで、効果的に使われていました。

今日はアルディのお誕生日。
アルディと一日違いの誕生日の私、昨夜は久々に「H(アッシュ)」でディナー。ヒューヒュー

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