下駄でコイコイ
細江英公の写真に"海辺のコイコイ"という作品があって、いい写真だなぁと思っていたのですが、被写体の女性の装いから判断して、緻密にセッティングして撮影されたものだと想像していました。
写真は、海辺に浴衣のようなものを着た男と、白い肘を被うほど長い手袋をしてキャプリーヌを目深に冠りハイヒールを履いた女性が砂の上に座っているツーショットです。男は着物の袖をまくり、女は白い手袋に覆われた手で花札を持ち、砂の上の座布団に今にも一手指そうかというタイミングで、細江英公のカメラは海をバックに二人を真横から捉えています。
男は澁澤龍彦。
女は矢川澄子。
1965年頃。
二人の間には砂の上の座布団。
コイコイというのは花札のゲームなのですが、この座布団が勝負の場、という訳です。
モノクロームのこの写真について細江英公氏がTVで話されたことがあって、私はたいそう興味深く聞きました。というのも、この写真は計算され尽くしたセッティングなどではなく、澁澤龍彦と矢川澄子が夜を徹してコイコイをしていて、明け方になって鎌倉の海辺で続きをしよう、と座布団を引きずって移動した時に撮影されたものだと細江英公氏が語られたのです。
「もう二度とこんな写真は撮れないでしょう。」と細江英公氏。
コイコイという遊びは たいそう面白くて、かつてしらじらと夜が明けるまでゲームに興じた経験のある私は、この時間の感じがとてもよく分るのです。
もう今はこの遊戯のルールさえ思い出せないのですが・・
この遊戯を教えてくれたのは草森紳一さんでした。
先日、草森さんは永代橋の家で本に埋もれたまま、下駄とサプライズを残して亡くなってしまいました。
草森さんが「本が崩れる」を出されてしばらく後に、神保町のバーで偶然、この新書の編集者の女性と隣り合わせ、草森さんの近況を伺って、いつか、また、お会いしたいものだと思いつつ、もうそれは果すことのできない望みになってしまいました。
訃報を知って、"海辺のコイコイ"を眺めてみたくなりました。
図録(澁澤龍彦幻想美術館)によるとこの写真のタイトルは"由比ケ浜で矢川澄子とコイコイをする澁澤龍彦"となっていました。私がこの写真をはじめて知った時は"海辺のコイコイ"か"コイコイ"だった気がします。